元風俗嬢、社会復帰しました。

タイトルだけ見ると、なんか凄そうだけど、全然すごくないです。自分のことを記録していくだけ。

至福

私の至福のひとときは、お仕事終わりの一服です。今の職場はタバコを吸う人が私しかいないので、家に帰るまで吸いません。

そのためヘビースモーカーだった私が全然吸わなくなりました。1日2~5本程度。なら吸う意味あんのかいって話ですけどね。

 

あとは下の話ですが、トイレです。 

便意が来たら無理に力まず、時間をかけてスっと排便するのが好きです。汚いですね。自宅に居る時のトイレはすごい長い。ぼっーとして何か考えるのもすきです。

 

そしてなんと言っても猫さんがあっためてくれるお布団。

家族に猫さんがいるのですが、私にだけベタベタな甘えん坊。他の人に懐かないというわけではなく、私がいる時は片時もずっと私のそばにいてくれるのです。

 

寝る時は大抵、私の布団のちょうど足元の部分に潜って寝ています。キャットタワーや、猫ベットなど買ってみたものの、基本的に私が座る所や寝る所にしか来てくれない。

 

私がいない時はキャットタワーなんかで遊んでくれてるようですが、そんな場面めったに見ない、、、。少し残念。

 

私が触るのはそこまで好きじゃなくて。

でも私に触れていたいのか、膝の上にはのってくる。私が寝る時は8割私が猫さんに腕枕しているような感じで寝ます。

部屋ではずーっとついてきます。

完全室内飼いの猫さんなのですが、外へ出ようともせず。

 

はぁ。かわいいです。

 

つまり何が言いたいかというと、今日は幸せです。明日も幸せです。

 

風俗嬢になりました。3。

この季節は寒いですね。今家族に猫ちゃんが居るのですが、寒いと膝の上に乗ってきてくれるのが、すごい可愛い。冬限定の甘え。

 

 

 

 

前回から、続きますね。

 

 

 

 

退院してからはしばらく家に引きこもりました。ベットの上でずっと過していました。

何もしたくなかったので、しなかった。なにか何かしたいと思うことも無かった。あっても多分、出来なかった。

ご飯は何も味がしなくて、不味くて食べれない。砂利みたい。水を飲むのも疲れる。お風呂も入りたくない。トイレに行くのでやっと動く。

 

どのくらいこの状況だったのかイマイチ覚えていない。

 

妹は週に何回かくらい、ベットの横に来て話をしてくれた、このゲームが楽しいよとか、この塗り絵好きそうだねとか、そんなことを話したような気がする。複雑だった。

「お前も苦しめたんだよ私を」って心では思っていても、妹だし、妹も辛かったんだろうなとか、わかるし。憎い気持ちと、それでも嫌いにはなれない気持ちがグチャグチャ。

こんな姉ちゃんでごめんなさいと思っていた。

 

 

結果的に半年ほどニートをしたのだけど、2ヶ月か3ヶ月たった頃に専門学校の時のクラスメイトから電話が来た。

 

オープンキャンパスの準備ってどうしたらいいの?私達なんもわかんなくて。何も言わずに辞められて困る。」そんな内容だった。

 

え?

え?

 

耳を疑った。心配されるかもなんて、思ってたのが馬鹿らしい。

 

 

私は、辞めたんだよ、学校。今私は部外者だぞ。というか、そんなこと。今までの見てたら分かるだろう、あっそっか。お前ら手伝ったこと無かったから、わかんないんだよね。自分で考えられないの?なにしてるの?

 

 

なんて文句も言いたかったけど、そんなことも言えなくて。先輩か先生に聞いたらわかるよ、と一言いうと、「聞にくいから聞いてるのに〜。」とまた文句。

 

私ができる反撃は電話を切ることだけだった。

 

 

何も出来なくて悔しくて、涙ももう出ない。

 

 

でも次の日、そのおかげで外に出ることが出来た。携帯番号を変えるため。何もかも変えるため。

 

と、いきなりの外出は無理だった。

ベランダに出るのが精一杯。というより、直ぐに疲れる。立つだけでも目眩がする。

 

こんなに外に出るのが億劫なのか。

 

それだけじゃなかった。人の目線も怖い。何か見られている気がする。ベランダに出ているだけなのに、私にだけ注目されているような。

向かいのマンションのみんなも見ているような。

 

 

コンビニでサンドイッチでも買って、公園で食べる。

これだけの文だと爽やかな公園でOLが優雅にランチタイムをしているようだけれど。当時の私は苦行だった。

 

外にでる練習だと、頑張ったがキツかった。

外に出た次の日はまた引きこもらないと、そんな元気も無かった。

 

 

何回か繰り返して外出は出来るようになった。ご飯も食べれるようになって、体力もん戻ってきた。

しかし、外出すると視線が怖い。すれ違う人、レジの人、運転している人。生きてることを否定されてるようで。なんで死ななかったの?ゴミ。消えろ。死ね。そんな事を言われてるように思ったし、実際に言われていると思い込んでいた。

 

自分はおかしくない。何も、してない。学生でもないし、もうニートだ。だからこんなこと言われるのか。外に出れたんだから仕事はできる。

 

 

専門学生時代、趣味で作っていたアクセサリーを委託販売をしていたセレクトショップに連絡して、アルバイトとして働けることになった。

 

“こう”なってしまった事情を話したら、お店の奥のスペースでアクセサリーを作ってもいいし、調子がいい時は接客もしたらいい。小さなお店で、忙しい時もあまりないから、ゆっくり自分のペースで働いていい。と言ってくれた。

 

元々は店長兼オーナー(男性)が1人で回せるくらいのお店だったのに、快く雇ってくれた。

 

1ヶ月も経っていなかった、多分2週間くらい。ネット販売用の洋服を着用して写真をアップしなければならなくて、モデルを頼まれた。

カメラマンは店長。

 

何も考えず二つ返事で引き受けた。

最初は普通だった。しかし、この服を着て、と渡されていく服が段々と露出の激しい服になっていった。すごく胸元が開いたピタッとしたTシャツ、ホットパンツ、チューブトップ

個性的で派手なアーバンギャルドなお店なのでそういう服も売っているのは知っていた。

 

これも、なんですね。こんな私を雇ってくれてるんだからと、負い目を感じて服を着た。

 

 

「あ、この服は乳首がたっていた方がいい」

すごく真剣な顔をして放った言葉。

 

え。

どういうこと、、、?

 

撮影にこだわりがあるのか、そういうコンセプトの服なのか、前々から知っている方だし、そんなことする人じゃない。

 

そんなことなかった。

 

 

ブラの線が浮くからということでヌーブラを着用して撮影していたのだか、突然近寄りヌーブラをひっぺがされた。

 

そして、直に乳首を触られた。

 

あまりの驚きは私は何も動けなかったし、声も出なかった。気をつけの姿勢のまま、固まっていた。

 

ハッとして、「あの、やめてくださいよ〜さすがに、、、」とヘラっと笑って言うのとしか出来なかった。この時の声は震えて、涙も出そうだった。

 

 

「ああ、ごめんね〜」と店長はすぐ触るのを辞めてくれた。たくさん撮れたから今日は終わりにしようか。と言うと、人目がいない所がなんとなく嫌で、接客をしにいった。

 

 

次の日から仕事場に行くのを辞めた。

 

確かに怖かった。

男の人に、女の私では力では100%勝てないのだから。

しかし怖い以上に、あとから思うほど、冷静だった。「携帯は持っていたし、録音しとけば。」「録音したら社会的に潰せるのかな」「犯された証拠があったら、この人はどうなるの?」

 

今思えば、セクハラ紛いなことはされてたような気がする。どこからがセクハラで、どこまでが楽しい会話なのか。難しい。

 

私はヌード写真集やグラビア、AV(アダルトビデオ)、を芸術的だと思って見てしまう。

AVに至っては、ポップコーンなどスナックを片手に映画を見るようにみてしまう。美しいなと思う。

「君はベッドの上ではSなの?Mなの?」「太ももエロいよね〜」「身体で1番感じるのはどこ?」

そんな質問も、精神論な話で、エロいと思ったこともなく。エロいも褒め言葉だと思っていた。(私も私でおかしい。)

 

 

 

そしてこんな考えに至った。

 

「あれ?」

 

 

「私、普通に風俗で働けば、良いのでは?」

 

 

風俗は水商売の次に、人間ができる最高の接客業だと思っていて(個人的な意見です。)

そんな突然関係のない、アパレルのお店で襲われかけても対応できるくらいなら、最初からそんなことが出来るお店なら、こちらも100パーセントの力で接客できるじゃないか。

 

 

そうして、風俗の世界へと、足を踏み入れたのです。

風俗の世界へとは、自らの意思です。

 

よくある、お金が無くて。学費のために。貯金のために。

 

そんなことは無くて。私に向いていそうだから、する。それだけの理由で風俗をはじめました。

しばらくぶりのお仕事

4日ほど連休をもらい、久々のお仕事。12月はお休みが少なかったので、1月後半はみんなに甘えて連休にしてもらいました。

 

今働いているのは、飲食店です。他にもジャンルバラバラの単発のお仕事をしたりだとか。こんな私でも飲食店では店長だったりする。

 

鍛え上げたアルバイトさん達が心強いので助かっている。

 

彼と公園にいってお昼寝デートをしたり、時間を気にせずマンガを一気読みしてリフレッシュできたぞ〜。

 

そろそろ次にステップアップしなければ。

 

連休明けは仕事が嫌になるけど、今日はそんな事ないので良い休みを過ごせたなぁと思いました。

 

悩みはうんこが出ない。

悲しい。

 

辞めましたまで。2。

文章をどこで切ろうか分からなくなって、一気に書いてしまったら、文字制限になってしまいました。あらら。

区切りがおかしく、自分でも読みにくい。

 

 

前回から続きを書きますね。

 

 

高校卒業後はデザイン系の専門学校に行きました。そこで私はドン底の道へとさらに深くゆっくり進んでいくのです。

小さい時から自分の言葉より、絵を描いて表現する方が得意だったような気もするし、何より創造が好きだったからだ。

 

戒めの呪いは続いていた。自分でも少しおかしいと思い始めていた。

ので、自分を戒めないといけない、から派生していくものをテーマに描いたり作ったりしていた。そんなことをしていると気が紛れたのだ。

 

その専門学校に通うためには実家からだと通えないほど遠かったため、一人暮らしをしなければならなかった。しかし、ちょうど妹も高校生に上がるときだった。

妹は、私が一人暮らしをする辺りの場所から近くの所へ進学を決め、合格した。

「実家から出たかったから。寮生活は面倒くさそうだったから。」という理由だった。

なので姉妹二人暮らしへと自然とそうなってしまった。

 

仲が悪いわけでは無かったけれど、仲がいいわけでも無かった。妹は遅めの反抗期を迎えたのか、環境の変化に馴染めなかったのか、私への反発が日に日にエスカレートしていった。

 

なるべく仲良くしようと、仲良くなりたいと思っていたので、できる時は早く起きてお弁当を作ったり。朝ごはんと晩ご飯は毎日作った。私が夜は遅いので晩ご飯は作り置きしたり、リクエストを聞いたり。

 

作り始めは美味しいねと、よく食べてくれた。しかし、妹の機嫌が悪いと食べずにそのまま、皿ごと、目の前で、ゴミ箱にいった。(寝起きはとても機嫌が悪かった、朝が弱かった。)

それでも晩ご飯はいつもちゃんと食べてくれて、「朝はごめんなさい」と手紙も一言くれるので可愛いと思えた。

 

 

そして私は、専門学校では委員会やクラス長などを引き受けて、先生に期待されていた。クラスの皆も頼っていた。なんでもハイハイ引き受けてしまって、完全にキャパオーバーしていた。周りは手伝ってくれなかった。

何故なら、100パーセントの力をだしきって頑張ってしまうから。無理難題でも「やらなければならない。なにがあっても。」と、任されたことは絶対にクリアしてしまうから。

周りから見たらなんでも出来る子に見えていただろうけど、それはめちゃくちゃ努力してたから。

 

 

そんなこんなで1年経ちそうな時。

 

 

その日もオーバードーズして、ふわふわしていた。今日となんとか生きようと

なにもいつもと変わらない、特別何かあった訳でもないけれど、なぜのその日だったのか分からない。なぜそのタイミングなのかも分からない。

 

 

最初の授業が始まる前に学校のトイレで自殺未遂をしました。

 

 

毎日、オーバードーズ(薬を過剰に摂取する事)用にいつも馬鹿みたいな薬の量を持っていました。高校生の頃からオーバードーズを繰り返していたので、どのくらいの量で吐くとかもなんとなくわかっていて。

 

吐かない大丈夫そうな量の薬を、トイレに置いてあった洗剤やら漂白剤やらで身体に流し込んだ。(オーバードーズのお薬は市販薬の物でした)

 

もう頭は吐かないことでたくさんだった。

バケツに吐いて、それをまた飲んだ。繰り返していくうちに意識がぼーっとしていった。

 

 

朦朧とした時に思っていた事は、読んでいたマンガの続きが気になるだとか、高校生の時の話したことの無い隣のクラスのイケメンはかっこよかったとか、このトイレの色可愛いなとか、そんなどーでもいいことがバンバン流れてきて。

 

あ、やっぱ市販薬じゃ無理か。そこら辺で買えるものじゃ死ねないのか。とふと冷静になったのを覚えている。

今まで感じたことの無い気持ち悪さ。焼ける。息ができない。でもこれじゃあ死なないな。

 

トイレの床が冷たくて気持ちよくて寝ているところをクラスメイトに見つかって、先生の車で病院に向かった。

 

病院へ向かう途中、先生が気持ち悪いの?体調悪いの?と聞いてきたので、気持ち悪さでグルグルしてる私は一言「死のうとしました」と言ったら笑われた。

まだまだ楽しいことは沢山あるよ、昔の生徒でも死にたがりの子が、その子は今は元気だよ、なんたらうんたら。

 

もうシャットダウンした。

ああ、笑われるのか。

 

 

病院についてからはICU的な所に入れられた。

胃洗浄は苦しいって聞いてたけど、されなかった。

心電図というのか、胸にぺたぺたシールを貼られ、尿道に管は通され、入院中はずっと4時間ごとに薬を飲まされた。

まぁこの薬がビックリする匂いで。飲んで吐くかもしれないけど、我慢してね。腐卵臭がします。と看護師さんが言うので覚悟を決めて飲んだら、あぁ、うん、臭い。不味い。

もう何にも無関心だった。

こんなに無関心になれるのかと思うほど無関心だった。

 

病院の先生や看護師からの話も質問もポケーっと聞いていた。

腎臓や肝臓が良くないかもしれない、後遺症が残るかもしれないんだよ、透析が必要になるかもしれないんだよ、こんなことしたらダメだよ、なんでこんなことしたの。

 

「なんとなく」

 

 

死にたかったと言ったらダメなんだと思い、なんとなくで通した。母も次の日に来てくれて、すごく怒られた。ただ、怒られた。話は聞いてくれなかったし、する元気もなかった。

 

入院は6日だけだった。人間ってカンタンに壊れないんだな。

 

その6日の間に私は電話して専門学校を辞めた。

姉妹二人暮らしの家には母が一緒に住むことになった。

戒めないと苦しかった。1。

ブログのタイトルにしてみました、「元風俗嬢、社会復帰しました。」(書いている今、ですので、変更があるかもしれません。)ですが。

 

過去のことを整理しながら書いていく上で1番主軸になる話だと思うので、このタイトルにしました。それではお話を勝手にはじめます。

 

 

 

 

私の家庭は、世間目に見れば普通です。父、母、私、妹。家族仲は良かったと思います。姉妹仲はそこまで良かったわけではなかった。特に悪いわけでもなかったけど。(お互い大人になってからはとても仲良しです。)

 

両親は共働きでした。どちらかと言えば貧乏な方。特に問題のない小中高校生を歩みました。

 

小学生の頃の私と言えば、大人しく、怖がりで、自分の意見も言えませんでした。授業で先生に当てられた時に泣くほど。得意なことは絵を描くことと、他の子より算数が少し出来ることだけ。

 

そんな自分が嫌で、自信をつけたくて中学では全然得意じゃないむしろ苦手な運動部に所属して、塾にも通いました。なんでも頑張る子に、気づけば変わっていました。「いい子」になりました。結果的に部長になっていたし(運動音痴のままでした。努力を評価されていたんだと思う)、学年でもかなり上位の成績でした。

 

高校入試もなんの問題もなく合格。住んでいた地域では進学校の方。(ちなみに寮生活でした。)

勉強も楽しかった。部活も楽しかった(文化系の部活です)。友達とも仲良く、高校生らしい恋愛もそれなりにした。

大人になって、今書きながら思うと、割とモテる方だった。割とというか、すごいモテてた。自分で言うなって感じだけど。

 

それでも自分に自信は何も無くて、全くなかった。本当に、本当に自信がなかった。

何か褒められていても「何か、裏がある。」「私より下だと思ってるから褒めれるんだ。」「この人おかしい、私を褒めるなんて頭おかしい。」と思っていた。(自信ないゆえにひねくれ者になっていた。)

 

当時モテている事に気づいていれば、少女マンガのヒロインのようになれてたカモ、、、なんちって。

 

そして高校2年生の頃に、とある女の子に付きまとわれた。別のクラスの子だったけど、傍目にも異常で先生や友達、同じクラスの子ははすぐ気づいてくれたのが幸いだった。1ヶ月くらい図書館に登校していた。時間が解決する、とスクールカウンセラーの先生が言ってくれたので、そのようにした。

事実、その1ヶ月は何も無かったかのように、付きまとわれるのも無くなった。

でも、その子を邪険にしたのでは、その子はもっと仲良くなろうとしていての行動では。

その子の気持ちや考えをちゃんと聞かなかった。そう考えると、私も何も自分の考えを伝えれなかったことをすごく後悔した。

 

その後悔の行先は、戒めだった。

自分はダメな子なんだと戒めないと苦しかった。なにか罰がないと生きていてはダメだとしか思えなくなった。

その頃から自傷行為をはじめた。傷になってバレたら大変だ。「いい子」で居ないと。見えない、バレない、気づかれない自傷行為(オーバードーズ、服に隠れる場所を殴る、頭を打ち付ける)を繰り返した。

 

自傷行為をした後はスッキリするのだ。罰を受けたので、今日も生きてていい。たくさん受けたから、笑ってもいい。許そう。すごくポジティブになる。楽しく過ごせたし、充実もしてた。

それでも段々とまた戒めないといけない気になって、自傷行為、そしてスッキリ。繰り返した。

 

死のうとは思わなかった。死んだら一瞬で楽になるから。死んだら苦しめないから。生きたまま、私はずっと、苦しまないといけないと思っていた。

 

なんのことは無い出来事が発端で、何故か、苦しまないといけないと思い込むようになり、それが呪いになった。この呪いが私をおかしくしてしまった。

(呪いとは上手くいえたものです、本当に呪いだった。)

 

記録をはじめます

今までの事をただ記録していきます。思い出しながら書いてきいます。汚くて醜くて、それでも過去で私は出来ているし、後悔したこともないのです。思い出しながら、と言いつつも昨日の事のように思い出すことばかりかもしれない。誰に読まれなくてもいいけど、誰かに認められたいのかなと、書きつつ思います。

 

日本語も下手だし、乱雑な文章になるけど、それも私だなぁと思います。

 

個人情報特定(されないとは思うけどこんな世の中なので、変な人もいるので。)されないように仮名をつかったり、大まかな言葉で書いていくと思います。まだ書き始めたばかりなので、よくわからないけれど。

 

過去のことを振り返れるくらいには、成長したんだなぁと実感します。あんなにドン底だった事も、あの感覚も、何故あんなに狂っていたのかも、馬鹿らしくなる。

 

でも忘れてはダメな気がするのです。忘れたら同じようなことを、もしかしたら。また。でもそっちのことより、頑張った自分を忘れたくない。ダメダメな過去を乗り越えてたんだよ、と。

ダメな過去にとらわれるのじゃなくて、その後。その出来事をどう処理したのかとか、その時の気持ちとか。綺麗事だけれど全部財産なんだと思います。

 

消したい過去も、幾つかあるかもしれないけれど、全部のいままでの、一つ一つの選択が今の私を作っているわけで。間違いも全部。(今とても幸せなのでそう思える。)

 

今(最近)過去に、人生のいい意味で区切りがついたので、暗黒時代の出来事を書いていこうと思います。こんな人もいます。(20代後半女性が、人生の区切りなんて、薄っぺらく聞こえますね。)(でもその言葉がしっくり来たので使います。)

 

暗黒時代とは言うけれど、その中でやりがいもあったし、生きがいもあったし、大切なものや人とも出会えたので。暗黒なんだけれど、光もありました。矛盾。

 

もっと語彙力が欲しいですね。表現力が豊かになりたい。最近の趣味は読書なんですが、きっと文章を編むことに憧れに似た何かを感じで、ブログ的なことを書き始めたんだなぁと納得しました。

 

そんなわけでちまちま書いていきたいとおもいます。

読んでくれた方ありがとうございます。