元風俗嬢、社会復帰しました。

タイトルだけ見ると、なんか凄そうだけど、全然すごくないです。自分のことを記録していくだけ。

辞めましたまで。2。

文章をどこで切ろうか分からなくなって、一気に書いてしまったら、文字制限になってしまいました。あらら。

区切りがおかしく、自分でも読みにくい。

 

 

前回から続きを書きますね。

 

 

高校卒業後はデザイン系の専門学校に行きました。そこで私はドン底の道へとさらに深くゆっくり進んでいくのです。

小さい時から自分の言葉より、絵を描いて表現する方が得意だったような気もするし、何より創造が好きだったからだ。

 

戒めの呪いは続いていた。自分でも少しおかしいと思い始めていた。

ので、自分を戒めないといけない、から派生していくものをテーマに描いたり作ったりしていた。そんなことをしていると気が紛れたのだ。

 

その専門学校に通うためには実家からだと通えないほど遠かったため、一人暮らしをしなければならなかった。しかし、ちょうど妹も高校生に上がるときだった。

妹は、私が一人暮らしをする辺りの場所から近くの所へ進学を決め、合格した。

「実家から出たかったから。寮生活は面倒くさそうだったから。」という理由だった。

なので姉妹二人暮らしへと自然とそうなってしまった。

 

仲が悪いわけでは無かったけれど、仲がいいわけでも無かった。妹は遅めの反抗期を迎えたのか、環境の変化に馴染めなかったのか、私への反発が日に日にエスカレートしていった。

 

なるべく仲良くしようと、仲良くなりたいと思っていたので、できる時は早く起きてお弁当を作ったり。朝ごはんと晩ご飯は毎日作った。私が夜は遅いので晩ご飯は作り置きしたり、リクエストを聞いたり。

 

作り始めは美味しいねと、よく食べてくれた。しかし、妹の機嫌が悪いと食べずにそのまま、皿ごと、目の前で、ゴミ箱にいった。(寝起きはとても機嫌が悪かった、朝が弱かった。)

それでも晩ご飯はいつもちゃんと食べてくれて、「朝はごめんなさい」と手紙も一言くれるので可愛いと思えた。

 

 

そして私は、専門学校では委員会やクラス長などを引き受けて、先生に期待されていた。クラスの皆も頼っていた。なんでもハイハイ引き受けてしまって、完全にキャパオーバーしていた。周りは手伝ってくれなかった。

何故なら、100パーセントの力をだしきって頑張ってしまうから。無理難題でも「やらなければならない。なにがあっても。」と、任されたことは絶対にクリアしてしまうから。

周りから見たらなんでも出来る子に見えていただろうけど、それはめちゃくちゃ努力してたから。

 

 

そんなこんなで1年経ちそうな時。

 

 

その日もオーバードーズして、ふわふわしていた。今日となんとか生きようと

なにもいつもと変わらない、特別何かあった訳でもないけれど、なぜのその日だったのか分からない。なぜそのタイミングなのかも分からない。

 

 

最初の授業が始まる前に学校のトイレで自殺未遂をしました。

 

 

毎日、オーバードーズ(薬を過剰に摂取する事)用にいつも馬鹿みたいな薬の量を持っていました。高校生の頃からオーバードーズを繰り返していたので、どのくらいの量で吐くとかもなんとなくわかっていて。

 

吐かない大丈夫そうな量の薬を、トイレに置いてあった洗剤やら漂白剤やらで身体に流し込んだ。(オーバードーズのお薬は市販薬の物でした)

 

もう頭は吐かないことでたくさんだった。

バケツに吐いて、それをまた飲んだ。繰り返していくうちに意識がぼーっとしていった。

 

 

朦朧とした時に思っていた事は、読んでいたマンガの続きが気になるだとか、高校生の時の話したことの無い隣のクラスのイケメンはかっこよかったとか、このトイレの色可愛いなとか、そんなどーでもいいことがバンバン流れてきて。

 

あ、やっぱ市販薬じゃ無理か。そこら辺で買えるものじゃ死ねないのか。とふと冷静になったのを覚えている。

今まで感じたことの無い気持ち悪さ。焼ける。息ができない。でもこれじゃあ死なないな。

 

トイレの床が冷たくて気持ちよくて寝ているところをクラスメイトに見つかって、先生の車で病院に向かった。

 

病院へ向かう途中、先生が気持ち悪いの?体調悪いの?と聞いてきたので、気持ち悪さでグルグルしてる私は一言「死のうとしました」と言ったら笑われた。

まだまだ楽しいことは沢山あるよ、昔の生徒でも死にたがりの子が、その子は今は元気だよ、なんたらうんたら。

 

もうシャットダウンした。

ああ、笑われるのか。

 

 

病院についてからはICU的な所に入れられた。

胃洗浄は苦しいって聞いてたけど、されなかった。

心電図というのか、胸にぺたぺたシールを貼られ、尿道に管は通され、入院中はずっと4時間ごとに薬を飲まされた。

まぁこの薬がビックリする匂いで。飲んで吐くかもしれないけど、我慢してね。腐卵臭がします。と看護師さんが言うので覚悟を決めて飲んだら、あぁ、うん、臭い。不味い。

もう何にも無関心だった。

こんなに無関心になれるのかと思うほど無関心だった。

 

病院の先生や看護師からの話も質問もポケーっと聞いていた。

腎臓や肝臓が良くないかもしれない、後遺症が残るかもしれないんだよ、透析が必要になるかもしれないんだよ、こんなことしたらダメだよ、なんでこんなことしたの。

 

「なんとなく」

 

 

死にたかったと言ったらダメなんだと思い、なんとなくで通した。母も次の日に来てくれて、すごく怒られた。ただ、怒られた。話は聞いてくれなかったし、する元気もなかった。

 

入院は6日だけだった。人間ってカンタンに壊れないんだな。

 

その6日の間に私は電話して専門学校を辞めた。

姉妹二人暮らしの家には母が一緒に住むことになった。